冥王星(めいおうせい、134340 Pluto)は準惑星であり、太陽系外縁天体内の新しいサブグループ(冥王星型天体)の代表例となる天体。かつては太陽系第九惑星とされていた。 転職サイト 目次 [非表示] 1 概要 2 発見 2.1 海王星と天王星との関係 2.2 ローウェルの影響 2.3 命名 3 物理的特徴 3.1 外観 3.2 質量と大きさ 3.3 大気 3.4 組成 3.5 軌道 3.5.1 太陽からの距離 3.6 海王星と冥王星の接近 3.7 彗星との比較 4 衛星 5 冥王星の探査 6 惑星としての地位を巡る論争 6.1 冥王星の論争の背景 6.2 博物館の模型からの省略 6.3 新発見による論争の激化 6.4 国際天文学連合での議論 6.5 IAUの決議に対する反応 7 冥王星と人類 7.1 冥王星への愛着 7.2 惑星としての記念 7.3 冥王星が登場するフィクション 7.4 分類変更による波紋 7.5 占星術と冥王星(惑星記号) 8 関連項目 9 出典 10 外部リンク 10.1 日本語 10.2 英語 看護師 求人 概要 パーシヴァル・ローウェルによってその存在が予想され、1930年にクライド・トンボーによって発見された。軌道は離心率が比較的大きい楕円形であり、黄道面から大きく傾いている。直径は2,320kmであり、太陽系内の衛星のうち、地球の月を含むいくつかよりも小さい。冥王星の最大の衛星カロンは直径が冥王星の半分以上あり、二重天体とみなされることもある。 冥王星は海王星軌道の外側で太陽を公転する天体(今でいう太陽系外縁天体)としては最初に発見されたものである。1930年に発見されて以来、長い間太陽の9番目の惑星であり、外惑星の一つであるとされてきたが、1992年に冥王星以外の外縁天体が初めて発見されて以降、冥王星と似た大きさの外縁天体が続々と発見され始めた。その中でも2003年に撮影された写真の中から2005年に見出された(正式には2003年発見となっている)外縁天体エリス(仮符号・2003 UB313)は冥王星よりわずかに大きかった。このような太陽系研究の進展により、太陽系の研究者の間などでは、冥王星を惑星とみなすことへの疑問の声が広まっていた。 発見から76年後の2006年8月に開かれた国際天文学連合 (IAU) 総会で、それまで明確でなかった惑星の定義を定めるとともに、「dwarf planet」(準惑星)という分類を新設することが採択された。この結果、冥王星は小惑星ケレス、2003 UB313(エリス)などとともに準惑星に分類された[1]。また、冥王星を外縁天体の「新しい下位分類のプロトタイプ」とすることも決定され[2][3]、2008年6月にその分類の名称を「plutoid」とすることが確定した[4](日本学術会議では2007年4月9日の対外報告(第一報告)[5]において「冥王星型天体」という日本語名称を推奨していた)。再分類された後、冥王星は小惑星の一覧に記載され、小惑星番号134340番が与えられた[6][7]。 監視カメラ 発見 トンボーはこのブリンクコンパレータを用いて、撮影した写真を比較した。1930年、天文学者クライド・トンボーはローウェル天文台で第9惑星を探すプロジェクトに取り組んでいた。トンボーは、当時最新の技術であった天体写真を用い、空の同じ区域の写真を数週間の間隔を空けて2枚撮影して、その画像の間で動いている天体を探すという方法で捜索を行った。撮影した膨大な写真を丹念に精査した結果、トンボーは1930年2月18日に、同年1月23日と1月29日に撮影された写真乾板の間で動いていると思われる天体を見つけた。1月20日の写真も、質は悪かったが動きを確認するのには役立った。ローウェル天文台はさらに確証的な写真を得るよう努力したあと、発見の報を1930年3月13日にハーバード大学天文台へ電報で送った。後に冥王星の写真は1915年3月19日まで遡って見つかった。このような経緯から、発見日は一般に1930年2月18日とされているが、小惑星センターに登録された一覧上では発見日は同年1月23日とされている[8]。 海王星と天王星との関係 冥王星が発見されるまでの歴史は、海王星の発見および天王星の存在と密接に結びついている。1840年代、ユルバン・ルヴェリエとジョン・クーチ・アダムズはニュートン力学を用いて、天王星の軌道における摂動の分析から、当時未発見の惑星だった海王星の位置を正確に予測した。摂動は他の惑星から重力で引かれることで起こるということが理論化され、ヨハン・ゴットフリート・ガレが海王星を1846年9月23日に発見した。 天文学者たちは19世紀後半の海王星の観測から、天王星の軌道が海王星に乱されていたのと同じように、海王星の軌道もまた他の未発見の惑星(「惑星X」)によって乱されていると推測し始めた。1909年までに、ウィリアム・ヘンリー・ピッカリングとパーシヴァル・ローウェルは、そのような惑星が存在する可能性のある天球座標をいくつか提唱した。1911年5月には、インド人の天文学者ヴェンカテシュ・ケタカルによる、未発見の惑星の位置を予測した計算がフランス天文学協会の会報で公表された。 データ復旧 ローウェルの影響 パーシヴァル・ローウェルは冥王星の発見に関して重大な影響があったと考えられる。1905年、ローウェル天文台(ローウェルが1894年に設立した)は、存在するかもしれない第9惑星を捜索する一大プロジェクトを開始した[9]。プロジェクトはローウェルが1916年に死去するまで続けられた。ローウェルは天王星と海王星の観測に適合する仮想の惑星Xを探していた。ローウェルが死去した後は、彼に学んだトンボーがローウェルの意思を引き継いで捜索を続け、発見に至った。 皮肉にも、捜索のきっかけとなった海王星の軌道の摂動の原因となるには、冥王星はあまりにも小さすぎる。19世紀に天文学者が観測した海王星の軌道の計算との食い違いは、海王星の質量の見積もりが正確でなかったためのものだった。いったんそれが分かると、冥王星が非常に暗く、望遠鏡で円盤状に見えないことから、冥王星はローウェルの考えた惑星Xであるという考えに疑問の目が向けられた。ローウェルは1915年に冥王星の位置を予測しており、これは当時の冥王星の実際の位置にかなり近かった。しかし、アーネスト・ウィリアム・ブラウンはほとんど即座にこれは偶然の一致だと結論付け、この見方は今日でも支持されている[10]。従って、冥王星がピッカリング、ローウェル、ケタカルの予測した領域の近くにあったことがただの偶然に過ぎないことを考慮すると、トンボーが冥王星を発見したことはさらに驚くべきことになる。 命名 発見された新天体を命名する権利は、ローウェル天文台と、所長のヴェスト・スライファーにあった。トンボーは他の誰かに提案される前に早く新天体の名前を提案するようにスライファーをせきたてた[9]。名前の提案は世界中から殺到すると考えられた。ローウェルの未亡人のコンスタンス・ローウェルはまずゼウスという名前を提案し、次には「ローウェル」を、最後には彼女自身の名前である「コンスタンス」を提案したが、どれも熱心な支持は得られなかった。クロノスやミネルヴァといった神話上の名前は、提案された名前の中で多くの支持を得た[11]。 「Pluto」(プルート)という名前を最初に提案したのは、イングランド、オックスフォード出身の当時11歳の少女ヴェネチア・バーニーである[12]。天文学と同じぐらいローマ神話とギリシア神話にも興味があった彼女は、オックスフォード大学のボドレアン図書館[13]で以前司書をしていた祖父ファルコナー・マダンとの会話の中で、ギリシア神話のハデスに対応するこの名前を提案した。マダンはこの提案をハーバード・ターナ教授に伝え、ターナはこの提案をさらにアメリカにいた同僚に電報で送った。ほとんど全ての人から好意的な意見を得た後、[要出典]「Pluto」という名前はスライファーによって公式に採用され1930年3月5日に発表された。 この天体に使われた名前はローマ神話で冥府の王であるプルートのことであり、太陽系最深部の暗闇に存在する冥王星のイメージを象徴している。また、最初の2文字のPLは、パーシヴァル・ローウェルのイニシャルでもある。 日本語名の「冥王星」は、発見後すぐに日本人の野尻抱影が提案した名称である。彼はこの名称を「幽王星」というもう1つの候補とともに雑誌科学画報の1930年10月号に紹介した。この名称は京都天文台ではすぐに採用されたが、東京天文台(現在の国立天文台)では英語のままの「プルートー」が用いられた(当時、東京天文台と京都天文台は異なる用語を用いていることがしばしばあった)。1933年には中国でも「冥王星」が採用され使われ始めたが、東京天文台が「冥王星」を採用したのは1943年のことであった。現在では、中国語では日本語と同じ「冥王星」(Mingwangx?ng)が用いられ、漢字をほぼ廃止した朝鮮語では漢字で冥王星にあたる「???」[mj??wa?s??]を用いている。 漢字を完全に廃止したベトナム語では、ヒンドゥー教や仏教で地獄の守護神とされる閻魔にちなんで、漢字で「閻王星」にあたる「Diem V??ng Tinh」や、「閻王の星」にあたる「Sao Diem V??ng」などと呼ばれる。インドでも閻魔(ヤマ)に因み?? ????(Yam grah)と呼ばれる。 物理的特徴 冥王星の2つの半球。青色光で撮影し、コンピュータ処理したもの。上部の小さい画像は処理前の生画像。冥王星についての詳細はまだ不明の点が多い。これは主に、冥王星には未だに探査機などが接近観測を行ったことがなく、また冥王星が遠すぎるために地球から詳細に観測することも難しいことによる。 外観 冥王星の表面の実際の色冥王星の見かけの等級は14等級以下であり、従って観測には望遠鏡が必要となる。冥王星を容易に見るためには、望遠鏡の口径は約30cm以上が望ましい。非常に巨大な望遠鏡で観測しても、冥王星の角直径はわずか0.15″しかないため、恒星と同じように点状に見える。冥王星の色は非常にわずかに黄色がかった明るい茶色である。 カロンが発見されたことにより、冥王星は最初の推定よりもずっと小さいことが明らかになり、必然的に冥王星のアルベド(光を反射する度合い)の見積もりは上方修正されることとなった。現在の推定では、冥王星のアルベドは、かなり高いアルベドを持つ金星よりもわずかに低い程度だと考えられている。 冥王星表面の初めての地図。冥王星の距離が非常に遠く、また望遠鏡の技術にも限界があるため、現在でも冥王星の表面の詳細な写真を直接的に得るのは不可能である。ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した画像から、表面の明暗や模様などがわずかに分かる。冥王星の最高の画像は、最大の衛星カロンによる食の精密な観測により得られた、地表の明るさの分布地図である。冥王星がカロンに食されるにつれ明るさがどのように変化していくかをコンピュータ処理を用い観測する。例えば、冥王星上で明るい点が食されると、暗い点が食されたときよりも全体の明るさは大きく変化する。この技術を用いて、冥王星 - カロン系全体の平均の明るさとその変化を時間とともに追っていくことができる。 質量と大きさ 「二重天体」としての冥王星とカロン(右下)。地球と月の組(左上)も示した。それぞれの天体間の距離は正しくないが、大きさの比率は正しく描かれている。冥王星の直径と質量は発見後数十年間にわたって誤って過大評価されていた。当初は冥王星は比較的大きく、質量は地球に匹敵すると考えられていたが、やがて観測が精密になると推定質量は急激に下方修正された。 1978年に衛星のカロンが発見されたことにより、ケプラーの第3法則のニュートンの公式を適用して、冥王星 - カロン系の質量を確定することが可能になった。元々、冥王星は水星よりは大きく火星よりは小さいと考えられていたが、この計算は観測されているのが単一の天体であると言う前提に基づいていた[要出典]。実際には1つではなく2つの天体であると言うことが一度分かると、冥王星の大きさの見積もりは一気に小さくなった。その後カロンによる冥王星の掩蔽の観測から冥王星の直径を決定することができるようになり、適応光学を用いた望遠鏡での観測により形状を決めることもできた。 冥王星(右下)と、太陽系で特に大きい衛星との大きさの比較。左上から順にガニメデ、タイタン、カリスト、イオ、地球の月、エウロパ、トリトン。太陽系全体を通じて見ると、冥王星はどの惑星よりも小さく、圧倒的に質量が少ない。それだけではなく、地球の月と比較しても質量は0.2倍以下であり、冥王星よりも質量が大きい衛星が7つもある。その7つの衛星は、ガニメデ、タイタン、カリスト、イオ、月、エウロパ、トリトンである。冥王星は、小惑星帯にある最大の小惑星であり準惑星でもあるケレスに比べると、直径は2倍以上、質量は10倍以上もある。しかし、2003年に発見された海王星以遠にあるエッジワース・カイパーベルト天体のエリスよりは小さい。