永久脱毛とは
永久脱毛
毛根・毛乳頭を何らかの方法で処理してしまうこと。毛乳頭は毛の発生や成長の源となる部分であり、血管や神経が集まっているところである。すなわち、毛乳頭を破壊することで再び毛が生えることを防ぐことが可能になる。永久脱毛の方法としては、特殊な針を差し込み電流を流すものと、医療用脱毛レーザーを使用したレーザー脱毛とがある。
used trucks for saleでの衝撃的なデビューに続き、バニラニンジャは三つのドイツ語圏の国々、ドイツ、オーストリア、スイスに乗り込んだ。この地域ではまだデビューアルバムもシングル"Club Kung Fu"も発売されていなかったが、代わりに目新しさという点では控えめのポップロック"Tough Enough"という新曲を選んだ。ドイツでは2003年12月8日、オーストリアとスイスは遅れてそれぞれ2004年の1月4日と2月8日に発売された。この曲はミュージックビデオ専門のテレビチャンネルで多く放送され、ドイツとオーストリアの両方でトップ20にランクインした。
ドイツでのデビューに成功すると、サードシングル"Don't Go Too Fast"をドイツとオーストリアでそれぞれ4月の4日と5日に発売した。スイスでは3月に発売したもののトップ100にすら入ず、ドイツ、オーストリアでもトップ20を逃した。2004年6月"Tough Enough"、"Don't Go Too Fast"などを収録したセカンドアルバム"Traces of Sadness"を発売した。
used truck for saleでチャートの成績は振るわなかったが、そのうちのスイスでは少しずつ人気が出てきた。チャート成績もアルバムTraces Of Sadnessが14位にランクインされて上向きになってきた。しかしバニラニンジャがユーロビジョン2005にスイス代表として出場するというショッキングな知らせは誰もが予想し得なかったことだった。スイスはここ数年来有力な候補が見つからず、2004年代表の準決勝敗退が最高成績という苦しい状況にあった。そこでスイスとヨーロッパの両方で人気のあるバニラニンジャに目をつけたのである。この発表は当然エストニアの人々の怒りを買った。バニラニンジャは祖国エストニアの代表であるべきであり、縁もゆかりもない国の代表になるのは許しがたいというのである。スイスでも反対の声が上がった。選考委員はバニラニンジャの曲の大部分がスイスの作家デイビッド・ブランデス(David Brandes)の作品だからスイス代表としての要素がないわけではないと弁明したが、皮肉にもブランデスはスイスで生まれ育ったドイツ人だった。
トリーヌ・キビラーンところがスイス代表としてユーロビジョンに出場する計画はまもなく危機を迎えた。マールジャ・キビが妊娠してグループを抜けてしまったのである。代わりとして連れて来られたトリーヌ・キビラーンはまだ15歳だった。しかしユーロビジョンは1986年に13歳のサンドラ・キムが優勝して以来、16歳未満の出場を禁止する規則を設けている。キビラーンは当初公称17歳としていたが、不審に思ったスイスの選考委が調査したところ彼女の本当の誕生日が1989年1月13日だということが明らかになり、問題になったのである。
used trucksのスイス代表の話はここで立ち消えになるかに思えた。しかしスイスの選考委は、大会開催前に彼女が16歳になることを理由に決定は覆さないと決めた。大会主催者である欧州放送連合も自分たちの決めたルールに口出しはできなかった。しかしこの一件は選考委のやり方が強引だと思っている人々の反発を買った。
ユーロビジョンの選考会の後、ニューシングル"Liar"でヨーロッパでの快進撃を続けた。ドイツとオーストリアではトップ20に入ったが、代表に選ばれたスイスでは43位に終わった。しかし続く新たなシングルは彼女たち自身の最大のヒットになり、初のドイツトップ10まで押し上げた。
used truckでの五枚目のシングルとなる"When The Indians Cry"は、グループにとって初となるスローテンポで柔らかい曲調のバラードで、それまでのアップビートの曲とは趣が違っていた。2004年9月にはドイツで8位、オーストリアで7位にランクインしたが、代表選定にまつわる騒ぎのあった当のスイスでは期待したよりも伸びず27位に終わった。この曲のミュージックビデオが新メンバー、トリーヌ・キビラーンのお披露目となった。年齢より大人びて見える彼女はグループに溶け込んでいることをはっきりと示し、五つも歳が離れているメンバー達とうまくやっていけないのではないかという憶測を封じ込めた。ちなみに、キビの代わりとしてキビラーンが選ばれた理由の一つは、キビに外見が似ているために早く他のメンバーと馴染めるのではないかと考えられたためだった。
彼女達の曲がドイツの上位チャートの常連になり、ミュージックビデオ専門チャンネルVIVAでのオンエア回数が増えていくにつれ、バニラニンジャはドイツで最も活躍するアーティストの一人になった。"When The Indians Cry"に続くニューシングル"Blue Tattoo"は前作に似た曲調で、ドイツでトップ10入りを果たしオーストリアとスイスでも好成績を収めた。
2004年の年末に"Blue Tattoo"で成功を収めると、メンバーはアジアツアーのために新曲リリースを三ヶ月休んだ。伝えられるところによると、2004年彼女達は「世界征服」の野望を抱いたそうである。まず手始めに日本、中国、マレーシア、タイといった国々で新しいファンを獲得してその第一歩とした。またVIVAの"Your Stars For Christmas"という番組で主役を務め、"When The Indians Cry"を歌詞を変えたバージョンの曲"The Light Of Hope"として歌った。
2005年3月、バニラニンジャは再びチャートに舞い戻ってきた。新曲"I Know"は家庭内暴力を扱った少々議論の余地が残るビデオとともに発売された。この曲はまたもヒットし、ドイツでは13位、オーストリアでは17位をマークした。三枚目のアルバム"Blue Tatoo"は多くの他のヨーロッパの国々でも発売され、前作同様ヒットした。ドイツでは四位、ユーロビジョンの出場曲"Cool Vibes"が収録されている影響でスイスでもヒットした。
アジアツアーで留守にしている間に、スイス代表の曲目は"Cool Vibes"に決定したと発表された。ユーロビジョンの規定に沿うように短い曲が選ばれたのだが、反応は複雑だった。ポップロックとしていい曲だと考える人と、このバンドの最高の曲でもなければユーロビジョンにふさわしい曲でもないと考える人とに二分された。
しかし"Cool Vibes"は出足でつまづいた。歌詞と作曲を担当したデイビッド・ブランデスが、自分の担当したアーティスト達のシングルを大量に購入してドイツのチャートを操作していたという不祥事が発覚したのである。結果、"Cool Vibes"はドイツのチャートから抹消されてしまった。他に彼が大量に買ったとされるシングルにはバニラニンジャの前作"When The Indians Cry"の他にもユーロビジョンドイツ代表のグラシアが歌う"Run and Hide"が含まれていた。間もなくグラシアはレコード会社から解雇され、この二つのアーティストの売り上げは三週間ドイツのチャートに記録されないことになった。バニラニンジャは不正に関与していないことがわかったが、"When The Indians Cry"の好調な売り上げがブランデスの大量購入に支えられていたかもしれないという事実はしこりを残す結果となった。
前年のユーロビジョン準決勝でスイスが最下位だったために、2005年3月19日に行われた準決勝では、Wig Wam, Luminita Anghel and Zdob ?i Zdubといった強豪たちと戦う羽目になった。スカンジナビアや旧ユーゴスラビア圏の票は集まらなかったものの見事決勝進出を果たした。しかし5月21日の決勝での彼女達のパフォーマンスはベストではなかったという向きもある。
しかし投票の前半では快進撃だった。エストニア代表ではないにも関わらず、母国からは満点の12ポイントが得られた(準決勝で既にエストニア代表が敗退していたせいもあるが)のみならず、ラトビアからも12ポイント獲得できた。しかし驚いたことにドイツから得られたのは4ポイントに過ぎなかった。オーストリアの反応はさらに冷たく、彼女達に1ポイントも与えなかった。
バニラニンジャは決勝ステージの3分の1が消化された時点でトップを走っていたが、徐々にランクを落とし結果は八位だった。しかしスイスにとってはここ数年来で最もいい成績で、来年の決勝への進出権を自動的に獲得した。
2005年6月12日、シングル"Cool Vibes"がスイスで発売されるとユーロビジョンでの話題も手伝って17位にランクイン、スイスでの最大のヒットになった。ドイツではブランデスの一件の影響で発売が延期され、7月2日にランクインしたが42位に終わり、オーストリアでも70位だった。
2005年5月グループはバルチックタイムス紙のインタビューで、そもそも自分達はポップロックスタイルのバンドとして出発したのであってジャンルはポップミュージックではない、そしてこれからは徐々に正統派のロックに移行していくと宣言した。 2004年のシングル"Tough Enough"はテレビゲームダンス・ダンス・レボリューション ULTRAMIX 2と"In The Groove"にも使われている。
バニラニンジャはリリースした全ての曲でミュージックビデオを制作している。トリーヌ・キビラーンが初登場したビデオは"When The Indians Cry"で、それより前のビデオにはグループを去ったマールジャ・キビが出ている。"When The Indians Cry"は "Tough Enough"、"Blue Tattoo"と並んで最も人気の高いビデオである。最新作"Cool Vibes"は2005年6月から7月にかけてヨーロッパのビデオ専門チャンネルで多く放送された。
彼女達のビデオはドイツのビデオ専門チャンネルで人気があり、特にVIVAでの露出が多いがこれは珍しい現象である。VIVAはユニバーサルレコードと契約したアーティストのビデオを優先的に流す放送局として知られているのに、そのライバル会社ソニーミュージック傘下のブロスレコードと契約したバニラニンジャの映像を大々的に放送しているからである。